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CHAO (WASEDA BREAKERS) インタビュー | 旅をすること。「最初の夢は、デカ過ぎないほうがいい」

1990年代から2000年代初頭にかけ、世界をまたにかけて活躍した伝説のBBOY、CHAO。日本を代表するWASEDA BREAKERS、そしてアメリカを代表するクルーHAVIKOROの一員として、オリジナリティあふれるCHAOスタイルで世界中に影響を与えました。
BBOYとしては、2003年に引退。その後ビジネスの世界へ。そして今度はEXTREMEの一輪車で名を上げ、世界一周の旅へ。現在は旅を広めるプロジェクト「旅∞(たびはち)プロジェクト」を立ちあげて活動されています。
日本ストリート界に間違いなく足跡を残し続ける氏に、ダンスについて、旅について、非常に貴重なお話を伺いました。

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90年代の初頭、まだCHAOさんが学生のころに海外に行っていた頃のお話を聞かせて下さい。

えぇっ、そこから?笑
まず、New Jack Swingを同じチームでやっていたIshikoro(MO’Paradise)や先輩の影響で、年に二回くらいのペースでNYへ通うようになって。Brian Green(ハウスを中心とした世界的なダンサー)が大好きで、頻繁にハウスのクラブにも通ってました。

それから93年のZULU NATIONアニバーサリーのビデオが僕にとってかなり革命的で、StormやMaurizioとかEasy Rocのような有名なB-BOYがたくさん出てて、2時間のサイファーが延々と続くビデオなんですが、とにかくすごかったです。
で、そんなレベルの高いサイファーに、突然謎の中国人がめちゃくちゃヤバいワンムーブをやってさっそうと去って行くんですよ。しかもその強烈なワンムーブのみ(笑)。「この中国のBBOYやべえ!」ってなりましたね。その後、久しぶりに会ったJo(Spartanic Rockers)もそいつとそっくり同じ格好してました(笑)。

ものすごい影響力を持った謎の中国人(笑)

そう、で、その一年後の95年に、NYで毎年開催されていたRock Steady CrewのアニバーサリーにJackと行った時に、サイファーにいたら、そのビデオと同じムーブをしているBBOYが現れて、「あ!これ、あの中国人じゃね!?」ってなって。そいつだけじゃなくて、そのチームの皆、奇抜なスタイルでね。当時、みんなが、Ken SwiftやCrazy Legsのような、ファウンデーション中心の正統派カッコイイ系スタイルを目指していた時代に、オリジナルすぎるそのスタイルに度肝を抜かれました。その中国人に話しかけたら、「カナダ人だ!」って言われて(笑)。それが後に僕にとても影響を与えることになったBag Of Trix(以後BTX)のGizmoだったんですよ。それで「これはトロントに行くしかねぇ!!」ってなりました。ずっとGizmoが「オリジナル、オリジナル」って言ってて、その時に初めて「オリジナル」っていう言葉も知りました。僕はイマイチ訳わからなかったんだけど、日本に帰ってきて「オリジナルの時代だよ!」って皆に熱く語ってました(笑)。

その翌年の96年には、BTXと行動を共にしたいと思って、一年間くらいトロントに行きました。Style Elementsが台頭してきたのはそれから一年後くらいだったと思います。当時のStyle Elementsのビデオを見ると、BTXと全く同じムーブをしたりしてます(笑)。BTXが居なかったら、ワセダのスタイルは勿論、DyzeeもMegasのスタイルも存在してなかったと思うし、今のダンスシーンもちょっと変わってたかもしれないですね。
同じ年の96年には、ドイツで開催されたバトルオブザイヤーにも行って、ヨーロッパのチームに混ざって出場もしました。バトルオブザイヤーという大会に出たのは恐らく日本人で初だったと思います。

当時インターネットもなくて、情報はどうやって手に入れていたんですか。

僕が一緒にダンスを始めた仲間が頻繁にNYへ行ってて、情報を仕入れてました。あとは現地のBBOYに電話して聞いてました。英語苦手だったけど必死でしたね(笑)。そこで諦めたら情報途絶えるので。噂でNYのイベントにMaurizioが来るという情報を聞きつけて、わざわざ日本からNYまで行った事がありました。当時は、ニューヨークやLAの情報はあってもヨーロッパの情報は皆無でした。

当時はe-mailもないし、電話かFAXですね。そういえば、96年に、バックパック背負って、旅をしていた頃、大学に提出する書類を、中米のグァテマラから父親とFAXでやり取りしていたのを今でも覚えています。
今はe-mailもあるし、インターネットも普及して、旅にしろダンスにしろ情報で溢れていて、悲しい部分もありますが、すんげぇ幸せな時代だなぁって思います。もっとも、僕もその恩恵をガッツリ受けて、世界一周へ行く事もできたんですけどね(笑)

インターネット、特にYouTubeが普及してからダンスの広がり方や学び方も本当に変わりましたね。それにしても当時のCHAOさん、ものすごい行動力ですね。

行動力ってわけじゃなくて、これは一種の病気だと思うんです。僕ってダンスに限らず、何に関しても気になったら、実際に自分の目で見たり、会いに行きたくなっちゃうんですよ(笑)。
例えば、本を読んでとても気になった方がタンザニアのザンジバル島ってところに住んでいるんだけど、世界一周中に現地の人に聞きながら家を探してあてて、会いに行ったりもしました。

HAVIKOROに入った時も同じで、当時、BBOYINGって言ったら、アメリカだとNYとかカリフォルニアくらいしか情報なくて。ある時、TEXASで開催されたイベントのビデオを見た時に、発熱するくらいの衝撃を受けて。TEXASにこんなに個性的なBBOY達がいるんだって思ったら、いてもたってもいられなくなって、一ヶ月後には会いに行ってました(笑)。 だって行けば彼らは必ずそこに存在するんだし、航空券も沖縄行くのとさほど変わらなかったし、そしたら後は行くか行かないかは自分次第なんで(笑) 。行ってみないと何も始まらない。そして、実際に行ってみたら本当に始まりました(笑)。

一輪車も、始めてまだ 一年も経ってない時に、EUCというEXTREME系の世界大会がドイツであるって聞いて、とりあえず「行きてえな!」ってなって、翌日にはオーガナイザーと連絡をとって一人で行きました(笑)。YouTubeで見ていた有名ライダー達が目の前にいて、生のトリックの数々も見て震えましたね。ちょうど、初めてStormやKen Swiftと会った時と同じような新鮮な感覚を思い出しました。

BBOYINGから経営の世界を経て、EXTREMEの一輪車に入っていってみて、どんな感覚でしたか。

一輪車をゼロから始める事によって、90年代のはじめにBBOYとしてアメリカとかカナダに行って、いろんなヤツとどんどん友だちになっていく感覚がもう一回味わえたんです。自分の実力が認められていくにつれて、世界中の有名なライダーともどんどんつながっていくような、この、何もないところから新しくつながりを作っていく感覚が懐かしいなぁって。青春を思い出しました(笑)。

僕の中では、別の世界をどんどん広げていくことが、とても大事な事の一つです。ダンスをして、フィギュアを集めて、起業して、一輪車して、世界一周して。更には、それぞれの世界でとことん頑張れば、国を超えた人の繋がりが自然に生まれていくと思っているんです。だから僕、ちょっとキモいんですが、いつもワクワクしていて、何回も青春できてるなって感じがしています(笑)。

でも、ダンスをプロでやっていくって決めてそれ一本でやる覚悟ってめちゃめちゃカッコイイとも思いますね。Kazuhiroなんて、話す度にプロ意識すごいなって思う。それで食って行くって覚悟を決めたんなら、とことんやらないとなって感じです。または、僕みたいな不器用な人間みたいに、別なことを見つけるか、どっちかです。

CHAOさんにとって、旅に行くということは。

やっぱり、人と繋がっていくことが、旅をしていて一番楽しい事だったと思います。B-BOYにしても一輪車にしてもそうですけど。自分が頑張れば頑張っただけ、より強い繋がりが出来ていくと思うんです。
今回、世界一周を出発する前に、ルールを作ったんです。「日本人とはつるまない」って。だけど、チベット越えの時にパーミッションを取るため、どうしても日本人を集めないといけない状況になって、人集めをしている10日間の間に色々な日本人と仲良くなったんですね。それが意外とめちゃめちゃ楽しくて(笑)。それ以来、考え方が180度変わって、「出会いって素晴らしい!」とか、いきなり言うようになってましたね(笑)。
旅に出た理由の一つとして、次のビジネスアイディアを探そうと思っていたのですが、結局旅そのものが、今やっている“旅∞(たびはち)プロジェクト”につながってしまいました。月並みかもしれませんが、僕にとっては出会った人達が、旅で得た一番の財産ですね。

ダンスからおもちゃの世界、ビジネスの世界、一輪車の世界、そして現在は旅のプロジェクトへと、いろいろな世界を経てみて思うところはありますか。

「周りの目は気にするな」とはよく言いますが、僕はやっぱりみんなに認められたくて、とにかく、とことん努力します。何故認められる必要があるかって言うと、B-BOYにしても一輪車の世界にしても、海外へ出ると確かにみんなイイヤツではあるんですが、結局実力がないと本当の意味では相手にしてもらえない、というシビアなところがありますよね。皆と仲良くなるには自分のレベルも上げないと話にならないって事に、アメリカ行った94年頃に悟ったんです(笑)。だからやっぱり一輪車もめっちゃ練習しましたよ(笑)。一年間のうち360日、毎日3時間くらいやってたと思います。仕事終わってからね。

おそらく皆そうなんですが、CHAOさんってセンスの人だと思っていました。

それが全然違うんです!(笑)
本当に僕は身体能力も無いし、自分で「形」になるまでとにかく頑張る、それだけはこだわっています。とりあえず一輪車に関しては、世界のライダー36人から構成されたDVDに日本人代表として参加させてもらって、「DVD」という「形」になったので、次の事を始めるために引退する事を決意しました。

若い世代にどんなメッセージを送りたいですか。

僕は、最初の夢はデカ過ぎないほうがいいな、と思っています。僕自身、最初からBattle Of The Yearの世界大会で踊るなんて夢にも思っていなかったし、とりあえず「チッタのステージに立とう!」「バトルで勝とう!」とかそういうのを一つ一つ達成してきました。夢はデッカイほうがいいってみんな言うけど、デカすぎると挫折しちゃうと思っています。叶えるハードルが上がって途中で絶対に挫折しちゃうもん(笑)。

自分で目標を設定して、自分の目標を達成するまでとにかく頑張れば、いろんな世界が見れたり、色んな人との繋がりを楽しめると思います。

とにかく、「努力」と「根性」さえあれば、必ず形になるから、諦めずに努力してほしいなと思います。中途半端が一番カッコ悪いから。僕も始めたからには、何かしら形になるまではひたすら頑張るようにしています。自分で決めた目標を達成すればそれでいいと思います。

(終)

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たくさんの経験を積み重ねてきたCHAO氏ならではの力強いメッセージの数々。
「とにかく形になるまで頑張ってみよう」という言葉は、ダンス以外にも響くメッセージでした!

現在取り組まれている「旅∞(たびはち)プロジェクト」では、3月21日にイベントも実施されます。
アクティブな旅人の集いに、ぜひ参加してみてください。

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